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玉依姫命、五頭龍大神
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神様について

鎮守様(ちんじゅさま)・氏神様(うじがみさま)・産土様(うぶすなさま)と、違う呼び方があるのはなぜですか?

中世以前氏族制度の中で、氏族(しぞく)が自分達(氏子)の祖先神又は守護神を自分達の集落におまつりしたのが「氏神様」です。
中世以降、氏族制度の崩壊とともに集落には同族以外の人が移り住むようになり、それまでの神社と氏子の関係が、神社と住民の関係に変わってきました。
そこから新しくできたのが「産土神(うぶすなのかみ)」という言葉で、自分の生まれた土地を守護する神様という意味です。
今では、氏神様・産土様をともに鎮守様ともいっています。
「鎮守様」とは国や町、村などを守護する神様という意味です。

学問の神様に病気平癒を祈ってもよいのですか?

神様は人々が幸せであることをお喜びになります。
農作物が豊かに実りそれぞれの生業が順調であるよう、四六時中見守っていらっしゃいます。
そこで原則的には正しい祈りであれば神様はお聞き届けになるはずです。
不摂生の結果病気になったからと言って、これを祈っても適うかどうかは保証の限りではありません。
ただし納得できる理由があればお聞き届け下さるはずです。
さて天神様に病気平癒を願うということですが、神様のお力に限りがあるはずはありません。
そもそも天神様は恐ろしい祟の神様でした。
それが学問の神と信じられるようになったのは江戸時代のことで、寺子屋に関わる人々が祈願したことから始まるようです。
神威(しんい)の著しい神様ですから、道理に適いさえすればお聞き届けにならぬはずはありません。

神明(しんめい)・八幡・熊野などいろいろありますが、神社には系統があるのですか?

はい、あります。
伊勢神宮系が神明神社・神明宮・天祖神社。
宇佐神宮系が八幡宮・八幡神社。
和歌山県の熊野本宮大社系が熊野神社。
この他、春日大社系、鹿島・香取神宮系、氷川大社系、稲荷神社系、秋葉神社系、東照宮系など、いろいろあります。
中でも伊勢神宮は全国にある神社の「本宗(ほんそう)」(中心・拠り所)とされています。

たくさんの神社があって神様同士が喧嘩することはないのでしょうか?

はい、ありません。
むしろ古典の祝詞(のりと)に「神議(かむはか)りに議(はか)り」と見えるほどです。
これは「神々が協議をなさった」という古事記・日本書紀の神話と同じ考えに基いています。
さながら大型コンピュータ同士のネットワークのように、神様は互いに緊密に連絡を取り合いなさっているというのが、古来の日本的な考えであるのです。


神社全般について

狛犬(こまいぬ)にはどのような意味がありますか?

狛犬は神社の守護、魔除けのために、参道に置かれた一対の獅子形の像です。
獅子は古来、百獣の王とされ、神域の邪気を払うとされています。
インドでは寺院の前、中国でも皇帝や貴族などの陵墓の前にその像を置く風習がありました。
この風習が朝鮮の高麗(こま)を経て日本に伝えられました。
日本の犬と違うことから高麗の犬だろうと考えて、高麗犬と名づけたようです。
のちに狛犬の字をあてるようになりました。
一般に神社に置かれるようになったのは平安時代の終わりごろのようです。

狛犬(こまいぬ)が参道(さんどう)を向いているのはなぜですか?

狛犬は大陸から渡来した架空の霊獣(れいじゅう)である獅子(しし)や、霊力のある犬と考えられていました。
もとは宮中で魔を祓うための置物や、几帳と呼ばれる移動式カーテンの重石として用いられたものです。
木製で殿内に置かれていたのですが、次第に外へ向かって睨みをきかすようになりました。
今でも神社の拝殿(はいでん)などにある獅子・狛犬の多くは入り口を向いています。
それが次第に陶器や石造製のものが現れ、屋外に置かれました。
特に参道に出た狛犬は向き合う形を取るようにもなり、それが今日にも伝わっているためです。

狛犬(こまいぬ)が阿吽(あうん)になっているのはなぜですか?

本家本元とも言うべき中国の紫禁城(しきんじょう)にある黄金の獅子や沖縄のシーサーなどを参照すると、狛犬が最初から阿吽(あうん)の一対ではなかったことが解ります。
チベット仏教で出している暦があります。
これには仏を取り囲む象や獅子を描いていますが、特に阿吽にはなっていません。
獅子・狛犬として伝来したのち、仏教者たちの「あ」は始まり、「ん」は終わり、「あ」「ん」で一切合財を表すとする解釈が加わって、説明的に阿吽像(あうん)として作られるようになったものと思われます。

鳥居にはどんな意味があるのですか?

神社には必ず鳥居があります。
一般には神社の参道の入り口に建つ一種の門と考えてよいでしょう。
鳥居の原形については、インドのトフーナ(仏塔を囲む垣の門)、中国の華表(かひょう)(王城や陵墓の前に建つ門)などといわれていますが定説はありません。
鳥居の語源も"通り入る"が転化したものとか、天照大神の岩戸隠れのとき、ニワトリ(常世の長鳴鳥)を止まり木に止まらせて鳴かせたところから鶏居といい、これが鳥居に変化したともいわれております。

鳥居(とりい)の種類について教えてください。

大きく分けると二種類あります。
神明系鳥居=鳥居の中で、シンプルな形状であり、島木がない鳥居を総称して、神明鳥居と呼ぶ。
形状は、二本の柱に笠木を渡し、貫で固定する。
明神系鳥居=笠木の下に島木があり、反りが加えられている。
柱は地面に対して少し傾斜(転び)をつけて立てられている。
宇佐鳥居以外は笠木と貫を額束で連結して補強している。
神明系(しんめいけい)の鳥居として、黒木鳥居(京都野宮(ののみや)神社ほか)・靖國鳥居(東京靖國神社)・伊勢鳥居(三重伊勢神宮)・白丸太(しろまるた)鳥居(東京武蔵野陵)・内宮源(ないくうげん)鳥居(京都吉田神社)・鹿島鳥居(茨城鹿島神宮)・宗忠(むねただ)鳥居(京都宗忠神社)があります。
明神系(みょうじんけい)として、春日鳥居(奈良春日大社)・八幡鳥居(長野御射山(みさやま)神社ほか)・住吉鳥居(大阪住吉大社)・中山鳥居(岡山中山神社)・山王鳥居(滋賀日吉大社)・奴禰(ぬね)鳥居(京都錦天満宮)・宇佐鳥居(大分宇佐神宮)・筥崎(はこざき)鳥居(福岡筥崎宮)・両部鳥居(広島厳島神社ほか)・唐破風(からはふ)鳥居(京都御苑内の厳島神社)・三輪鳥居(奈良大神神社)・三柱(みはしら)鳥居(京都木嶋坐天照御魂(きしまにますあまてるみたま)神社・東京三囲(みめぐり)神社・長崎和多都美(わたつみ)神社)などがあります。

千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)とは何ですか?

千木(または比木(ひぎ))とは、木材を左右から交差させて結び、その先を切り捨てずに天空に高く突き出したものです。
上代(じょうだい)の家屋の作り方によるもので、神社建築に受け継がれています。
祝詞(のりと)の慣用句に「高天原(たかまのはら)に千木高知(ちぎたかし)りて」とあります。
「高天原」とは天照大御神(あまてらすおおみかみ)以下の神々がいらっしゃる世界を言い、更に「天空」をも指します。ここは後者です。
なおチ・ヒは神霊を意味する語ではないかと思われます。
「高天原に向けた神霊が憑(よ)り来る木」の意に由来する命名でしょう。
伊勢の内宮では内削(うちそ)ぎ、外宮では外削ぎを用いて区別します。
鰹木のカツオとは「堅い魚」の意味です。
地方の民家で茅葺(かやぶき)の茅を抑えてあるものがこれに相当します。
鰹木の数は最小二本から最大十本まで、と神社によってかなり違いがあります。

神主(かんぬし)さんの袴の色が違うのはなぜですか?

有職故実(ゆうそくこじつ)により異なります。
今日では等級(神職の位階)によって区別しています。
伊勢神宮を除き、一般に白は出仕(しゅっし)(実習中か試用期間の人)が着用します。
任用後は浅黄色(あさぎいろ)を着けます。これは三級神職用です。
次いで紫。これは二級神職用となります。
次いで紫の地に紫の紋。これは二級の上。
次に紫の地に白の紋が一級浄階(じょうかい)。
そして白地に白の紋は特級浄階。で最高位を表します。
※有職故実とは・・・古来の先例に基づき、官職・儀式・装束などを研究すること。
有識とは過去の先例に関する知識を指し、故実とは公私の行動の是非に関する説得力のある根拠・規範の類を指す。
そうした知識に通じた者を有識者(ゆうそくしゃ)と呼んだ。
後に転じて「有職」と呼ぶようになった。

巫女(みこ)さんになるためにはどうしたらいいですか?

巫女さんになるための資格はありません。
出なければいけない学校もありません。
年齢・資質など二、三の条件によって選ばれますが、それぞれの神社の募集条件によって採否が決ります。
なお神道系の大学や神職養成機関で学んだ後に巫女として神社に奉職する例もあります。
希望する神社へ直接問い合わせるとよいでしょう。
※神道系大学、國學院大學、皇學館大學、神職養成機関、鹽竈(しおがま)神社養成所、國學院大學別科熱田神宮学院・神宮研修所、京都國學院、大社國學館

拝殿(はいでん)の幕にはどんな意味があるのですか?

幕の役割で最も目立つのが覆いです。
わが国では全てを露出することを嫌い、幕によって全体が晒されることを防いでいるようです。
幕には壁代(かべしろ)(壁となるもの・壁に代わるもの)の働きがあるものと思われます。
祝賀会場あるいは祭礼の神酒所に紅白の幕を引き廻らすのは、ごく一般に見受けられる光景ですが、これによって限られた期間、いつもとは違った神聖な空間を生み出す事が出来るわけです。
聖と俗の境界の役割を担うという点では鳥居と似た働きをしているとも言えます。

お祓いで振っているものを何と呼ぶのですか?

大麻(おおぬさ)と言います。
木の棒に紙垂(しで)(紙を折り垂したもの)を付け、麻の緒を結んであります。
榊(さかき)の枝に紙垂・麻緒(あさお)を付けて用いる場合もあります。
これを左右左と振ることにより、穢(けがれ)を吸い取るのだと考えられています。

榊(さかき)を玉串(たまぐし)と呼ぶのはなぜですか?

タマは「霊」または「魂」の意で、クシは「細長い棒」を表します。
このタマクシ・タマグシは本来、神威(しんい)(神様のお力)を戴くためのものでした。
明治以降、現在のように神前に捧げるものと改められました。
なお結婚式などおめでたい場では紅白の紙垂を用いることもあります。
邸内社(ていないしゃ)のまつりなどに捧げる目的で個人的に玉串を作る場合もあります。

神主さんや巫女さんの装束はいつ頃から着用されるようになったのですか?

神職が着用する装束のうち、正装は平安時代の束帯に由来し、これに次ぐ斎服(さいふく)は直衣(のうし)に由来します。
束帯は貴族の正装でしたが、直衣は略装でした。
狩衣(かりぎぬ)は今日の作業着や普段着に近いものでした。
浄衣(じょうえ)は狩衣とは別の系統のものでしたが形状はほぼ同じです。
巫女が着用するものは千早(ちはや)と言います。

神主さんが持っている木の板は何ですか?

笏(しゃく)と呼びます。
本来は威儀(いぎ)を正すためのものですが、メモを貼り付けて用いたり、縦(たて)に割って笏拍子(しゃくびょうし)に使ったりすることもあります。
素材は古くは櫟(いちい)の木を用いました。
位が一位になるようにという貴族の願望から出た語呂合わせによっています。
なお「笏」の訓はコツですが、シャクとするのは音が「骨」に通ずるのを嫌ったためです。
※「威儀(いぎ)を正す」とは・・・身なりや形を整え、礼儀・作法にかなった動作、立居ふるまいをすることをいいます。

賽銭箱(さいせんばこ)はいつ頃から、何故あるのですか?

由来はよく解りませんが中世以降のもののようです。
「賽」は室町時代の辞書に見える語で、報い奉るという意味ですから、神仏への感謝に捧げる金銭を納めたものと言えます。
意味は今日でも同じです。

何でも祈れば叶うのですか?

「いのる」という言葉は「い」と「のる」から出来ています。
ここでの「のる」は内に秘めていたものを外に現すといった意味があります。
「い」はそれを強める語です。
そこで「心中に思い詰めていた事柄を神様に申し上げる」ことが「いのる」の本来の意味ということになります。
正しい願いごとであれば、早いか遅いかの差はありますが必ず叶えられましょう。
邪な願いや道に外れたものは叶いません。
一心に祈っても成就しない場合があるとすれば、どこか道理に適わぬものがあるからに違いありません。

八幡(はちまん)様の参道が長いのはなぜですか?

特に長いのは鶴岡八幡宮です。
これは源頼朝公が鎌倉に幕府を開いた際に、京都を意識したためだと考えられます。
つまり京都の中心は御所で、ここから碁盤の目のように道が造られているのを参照し、八幡宮を御所と見立て、参道を都大路(みやこおおじ)に代わるものとしたのだと言われます。
つまり京都における精神的な象徴であった御所に準(なぞら)えて神社を設けたため、参道が長くなったというわけです。

神社と神話は関係あるのですか?

はい、大いに関係があります。
神話は本来、祭の中で語られたものでした。
御祭神の信仰を語り継ごうとしたからです。
しかし時間と共に次第に神話のみを独立させ、脈絡のあるものとした結果、読ませるための神話が生まれます。
とはいえその精神は一貫しています。
たとえば古事記の神話が語るのは天皇陛下とその祭祀(さいし)の意味で、日本という国柄の核心に触れる内容になっています。
神楽(かぐら)が演じて信仰を表現したのに対し、神話は語ってそれを表そうとしたものなのでした。

祈りの意味は何ですか?

「祈り」は「祈る」という語の名詞形です。
「いのる」は「い」と「のる」とから出来ています。
「のる」とは「物を言う」という意味です。
これを強めて「い」を付けたのが「いのる」です。
その「のる」には「内に秘めたことを外に現す」という意味があります。
切なる願いはまさに「秘めた思い」です。
それを神様にだけ申し上げるので、特に強めて「いのる」と言ったのです。
つまり「いのり」とは「思いを口に出すこと」にほかなりません。
ところで古くは今日のように願い事は言わず、神様のお名前だけを唱えたこともあります。
神様のお名前には御神徳(神様のお力)が現れていると感じたためです。
もちろん今日のようにも祈っています。
ただし報賽(ほうさい)(有難うございましたの意)が主流でした。
私たちも、あれこれとお願いする前に御神名を申し上げてみたいものです。

祭とは何でしょうか?

「まつり」は従来「待つ」から出たことばだと言われていました。
最近の研究では「従う」ことを言う古語「奉る〉が語源だと言われます。
「神様を心の底からお慕いして従うこと」が「祭」の元からの意味だと言うのです。
そこで、お祭とは「神前に山海の珍味や御酒を捧げ丁重におもてなしすること」の意となります。
直会(なおらい)にはそれを神様と一緒に戴くという意味があります。

例祭はどんな日を選んで執り行われるのですか?

"例祭"は神社で最も重要な祭典とされています。
年に一回(神社によっては年二回)執り行われ、その期日には、御祭神に縁故のある日、または神社の由緒と関わりがある日が選ばれますから、神社によって異なります。

大祓(おおはらえ)の神事について教えてください。

大祓(おおはらえ)とは、知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢(けがれ)をはらい清めるための神事です。
古来より、宮中や神社では恒例の祓として、六月と十二月の晦日に行われてきました。
六月の大祓を夏越(なごし)の祓、十二月の祓を年越しの祓ともいいます。
大祓には形代(かたしろ)(人形…紙を人の形に切り抜いたもの)に、自分の罪や穢を移して、それを海や川に流します。

大祓(おおはらえ)の時、体にかける紙ふぶきのようなものは何ですか?

それは切麻(きりぬさ)と言います。
本来、麻苧(あさお)を細かに切ったものと思われますが、今日では半紙を細かく切って混ぜています。
大祓には日頃の罪穢を祓うために、"切麻"や榊に紙垂(しで)をつけた"大麻"(おおぬさ)での祓い、息をふきかけ罪穢を移す"人形"、"茅の輪くぐり"などの行事があり、各神社では伝統に則って、これらの行事を組み含わせて大祓を行います。

大祓式では罪穢をどのような方法で祓い清めるのですか?

大祓では形代に自分の名前と年齢を書き、息を吹きかけ身体を撫でることで自分の罪穢を移し、それを我が身の代わりに清めてもらいます。
この大祓式は全国の神社で行われますが、この時に"茅の輪くぐり"の神事が行われる例が多く見受けられます。
これは茅草で作った大きな輪をくぐることにより、半年間の罪穢や疫病を祓うものです。
茅の輪の起源については"備後風土記"という書物に、蘇民将来という心正しい者が善行して、神様から茅の輪をもらい腰につけ、疫病から救われたという話が書かれており、茅の輪は厄除けのしるしであることが分かります。


礼儀・しきたりについて

お参(まい)りに手水(てみず)をする(手を洗う)意味はなんですか?

日本人は古くから禊(みそぎ)や祓(はらえ)を行って来ました。
禊は川や海の水に身を浸(ひた)すことです。水によって身を洗い清め、罪(つみ)・穢(けがれ)を除(のぞ)くことです。祓は度合いに応じて科料(かりょう)(償(つぐな)いのもの)を差し出したり、祓(はらえ)つもの物に移した罪・穢を投げ捨ててこれを取り除こうとするものです。禊は私的に行われることが多く、祓は公的に行われましたが、今日では特に区別せずに行われています。この禊を簡略にしたものが「手水」というわけです。

手水の使い方(やり方)がわかりません。教えてください。

神前へ出るときは、身も心も清浄であることが必要です。
古くは川で身を清めたり口をすすいだりして参拝をしました。手水はこれを簡略化したものです。

  • まず右手で柄杓(ひしゃく)をとり、清水をくんで左手にかけ、左手を清めます。
  • 柄杓を持ち替え、右手を清めます。
  • 柄杓を右手に持ち、左の手の平に水を受け、口をすすぎます。
  • もう一度左手に水をかけます。
  • 柄杓置きに、柄杓を伏せておきます。

※柄杓に口をつけるのは、正しい作法ではありません。

神社にお参りする際の作法はありますか?

心身を清め心をこめて祈る事が一番大切なことですが、基本的な作法が決まっていますので、ご紹介します。

  • まず手水(てみず)を使います。
  • 神前へ進み軽く会釈をします。
  • 直立の姿勢から背中を曲げないように深く腰を折り、頭をさげます。 (拝)二回
  • 両手の胸の高さで含わせ、右手を少し引いて拍手をします。 (拍手)二回
  • 姿勢を正し、背中を曲げないように深く腰を折り、頭をさげます。 (拝)一回
  • 軽く会釈をして、神前を辞します。
お参りに柏手(かしわで)を打つ(拍手をする)のはなぜですか?

上代(じょうだい)には手を打つことが挨拶でした。
今日でも礼手(らいしゅ)と言って手を一つ打つ作法があります。
神社にお参りする際、手水の前に行います。
またお参りした後に、御神酒(おみき)を戴く場合、更には食事の前などにも行います。
そこで神前では最も古い挨拶を行っているということになります。
※上代とは・・・桓武天皇までの現世にも神が君臨した時代を指します。

お供えの数は決まっているのですか?

現在では三方(さんぼう)または高坏(たかつき)に、五台ないし七台のお供えを差し上げることになっています。
ただ神社によって古くからの仕来(しきた)りがある場合は、それが優先されます。
関東の例では香取神宮の団子祭や日光東照宮の例大祭に夥しい数の神饌(しんせん)(お供え)を上げる例などがあります。

お礼参りはしなければならないのでしょうか?

はい、その通りです。
人間同士で考えて見ましょう。
お世話になった方があれば御礼に伺うのは当然ですね。
まして神様に願い事をしたのですから、せめて結果だけでもお知らせすべきです。
成就した願いであれば報賽(ほうさい)(感謝・御礼)をするのが筋というものです。
「願掛(がんかけ)」をした場合は「願解(がんほどき)」をしなければいけません。

「願解(がんほどき)」とは何ですか?

神様に願い事をするのが「願掛(がんかけ)」。
その願いが成就した場合や不要になった場合は「願解(がんほどき)」をしてけじめを付けます。
電話やパソコンでさえ、年中繋ぎっ放しということは有り得ません。
用件が済めば受話器を置き、画面を閉じます。
いずれにしても神様にお願いしたままというのは失礼極まりないということになります。
そこで「願解」を行います。
「報賽(ほうさい)」もほぼ同じ意味のことばです。

絵馬(えま)には何を書いてもよいのですか?

正しいこと・明るいこと・建設的なこと・希望的なこと、などであるのがよいでしょう。
欲張ったこと・不正なこと・暗いこと・破壊的なこと・絶望的なこと、取り分け呪いの類はいけません。
神様がお嫌いになります。

古い神札(しんさつ)やお守りはどうすればよいのですか?

神社に持って行くと「古札収め所」があります。
ここに収められた神札は「お焚き上げ」を致します。
なお神奈川県内の神社では「お祓い袋」を実費でお分かちしています。
この袋には全てを祓う大祓詞(おおはらえことば)が印刷されています。
これに人形などを入れれば、ごみ収集車に渡しても差支えがありません。

神棚(かみだな)は作らないといけないのですか?

神棚がなくても神札をまつることは出来ます。
大切なことは、神様の分霊(わけみたま)を身近な所でおまつりするということです。
そのためには不浄を避け、作法に適った形でおまつりする姿勢が大切になります。
細かな点は御相談下さい。

なぜ初詣(はつもうで)に行くのでしょうか?

最近では正月三が日の休業という古来の伝統が破られました。
若者が町に出るようになって、大人たちもこれに習ったためです。
わざわざ年頭の三日間を休みにするのには意味がありました。
神や祖先を迎え、おもてなしをするためなのです。
そのためには厳重な忌み籠(ごも)りが必要でした。
そのお籠りの日が大晦日で、この日に一夜飾りをしないのにはそうした理由があったわけです。
三がにち日が過ぎると、人々は初詣に出かけました。
それは江戸時代に起こった「恵方(えほう)参り」に始まったと言われます。
その年の最も良い方角にある神社・仏閣にお参りすれば、一年間が幸運に満たされると信じたところから出ています。
今日では大晦日から元日にかけて参るのを一般としますが、これは江戸以降に始まり定着した形なのでした。

なぜおみくじは結ぶ必要があるのでしょうか?

わが国では古くから魂を結び籠めることで願いが成就すると考えて来ました。
握り飯を「おむすび」と呼んだのも、御飯を結んで米の持つ力を更に引き出そうと考えたことによります。
そこで、おみくじを結ぶ行為には、「叶いそうな願い」や「実らぬ」と出た結果を「何とかしたい」と思う無意識が働いていると見ることが出来ます。


祈祷関連について

祝詞(のりと)には種類があるのですか?

古くは祝詞には複数の呼び名がありました。
一つ目は神様に申し上げるもので「称辞(たたえごと)」と言いました。
神様のお力をお讃えしたことからこう呼ばれました。
二つ目はお籠りの際に唱えたもので「護言(いわいごと)」と言いました。
三つ目は占いの結果を読み解いたもので「詔刀(のりと)」と呼ばれました。
四つ目はお祓いに用いられるもので「祓詞(はらえことば)」と言いました。
五つ目は天皇陛下に申し上げるお祝いの言葉で「寿詞(よごと)」と呼ばれました。
これらを一まとめにした呼び名と表記とが「祝詞(のりと)」です。
これでも解るように本来は願い事をい立てるものではありませんでしたが、現代では奈良・平安の古語を用いて参拝者の祈願を神様にお取り次ぎする内容が中心となっています。

自分で祈る場合と神主さんが祝詞(のりと)を上げるのとでは違いがあるのでしょうか?

はい、違います。
神様に物事を申し上げるには、それなりの作法や言葉遣いが必要です。
この場合の作法を「祭式(さいしき)」と呼び、言葉遣いを「祝詞(のりと)」と言います。
祭式では神様に礼儀を尽すために作法の取り決めがあります。
祝詞では古語が大きな意味を持ちます。
そこで奈良時代以来用いられた大和言葉によって申し上げる内容を綴ります。
その表記法には宣命(せんみょう)書きと言って、語幹(語の核となる部分)を大きい文字で記し、送り仮名や活用語尾を小さい文字で書く方法が用いられます。
今日の漢字仮名混り表記の先駆けとなったものです。
古く一般の神社で「当屋(とうや)」「神役(しんやく)」「年番(ねんばん)」「一年神主(いちねんかんぬし)」などといい、順番に神主を務めたのですが、次第に専門職化しました。
祭式や祝詞を駆使出来なければ務まらなかったためです。
そこで神主の上げる祝詞は厳密であるという点で各自のものとは異なると言えます。

祝詞(のりと)ではどんなことを言っているのですか?

大まかには「神様にお守り戴いていることへの感謝・奉告(ほうこく)(結果を申し上げる)」と「願いごと」の二つから成り立っています。
主に大和言葉(奈良・平安時代の日本語)を用います。
古くは神話を語ったり、神徳(神様のお力)を申し上げたり、呪文を唱えたりする内容でした。
「言霊」と言って言葉の力によるため、大祓詞(おおはらえことば)のように言葉によって祓えを行ったり、出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)や中臣賀詞(なかとみのよごと)のように長寿をことほぐる例もあります。

祓(はら)うとはどういうことでしょうか?

万葉集に「中臣(なかとみ)の太祝詞(ふとのりと)言ひ祓(はら)へ贖(あが)ふ命(いのち)も誰(た)がために汝(なれ)」(中臣の太祝詞を唱えて祓って酒を捧げて長命を願うのも誰のためであろうか。
お前のためだよ)という歌があります。
作者は大伴家持(おおとものやかもち)で、題詞には「酒を造る歌」とあります。
これはもともと、祓えが贖物(あがもの)(埋め合わせとする代わりのもの)を提出し、太祝詞(大祓詞(おおはらえことば))を唱えて公的に行われたものであることをほのめかしている歌です。
ところが徐々に私的な行為である禊(みそぎ)との区別がつかなくなります。
それは共に罪・穢れ・災いなど取り除こうとするものであったためです。
今日では少し形は変っていますが、神社で神職が祓詞(はらえことば)を唱え修祓(しゅばつ)(お祓い)を行い、神様に祝詞を申し上げてそれらを除いていただくのが一般です。

どんなことでも祓えばよいのですか?

祓(はらえ)は罪・穢(けが)れ・災いなどを対象とします。
自分の周辺にそうしたものがある場合は、祓えを行うとよいでしょう。
ただし時と場合によっては、必ずしも祓えで事が足りるわけではありません。
心構えや生活での取り組みにも大切な意味があります。
たとえば新車のお祓いをしても運転する人の心掛けが悪ければ意味がありませんし、不慮の死者があったからと言って闇雲に祓っても何の成果も得られません。この場合は魂(たま)まつりをしてから祓わなければならないからです。

祓(はらえ)と禊(みそぎ)はどう違うのですか?

禊(みそぎ)は川や海の水に身を浸すことです。
水によって身を洗い清め、罪・穢(けがれ)を除くことです。
祓(はらえ)は度合いに応じて科料(かりょう)(償(つぐないの品物)を差し出したり、形代(かたしろ)(人形(ひとがた))などの祓(はらえ)つ物に罪・穢を移してそれらを取り除こうとしたものです。
禊は私的に行われることが多く、祓は公的に行われました。
今日では何れも公私にわたって行われます。

厄年(やくどし)はどう過せばよいのでしょうか?

「厄(やく)」は本来は「神役(しんやく)」の意味であったと考えられます。
「神役」とは「当屋(とうや)」「年番(ねんばん)」「一年神主(いちねんかんぬし)」などと呼ばれるもののことです。
つまり祇園祭の稚児(ちご)さんのように籤引(くじびき)や順番に当って、神まつりに奉仕する役割のことです。
普通は一年間見習いを務め、二年目に本番を迎え、三年目は後見役に回ります。
それを免除していただくのが「厄除(やくよけ)」「厄祓(やくはらえ)」「厄流(やくながし)」などと呼ばれるものです。
地方によっては「神役」を免除して頂くために、近郷近在の人々を呼び集めて散財するという例もあります。
神様の障・祟を恐れたためと思われます。
従って厄年に当ったら「神役」の年なのだと心に刻んで一年を過すとよいでしょう。
もちろん免除して頂くのですから神社で御祈祷を受け、出来れば進んで地域のお祭のお手伝いをしたり、心に掛けて神社にお参りしたりするのがよいでしょう。

お宮参りについて教えてください。

赤ちゃん誕生後、男児は三十一か三十二日目、女児は三十三日目に氏神様(鎮守様)に参詣することをいいます。
親子ともども、出産という大事を神さまのご加護によって、無事に終えた奉告と、子どもの健やかな成長を祈念する儀式です。


その他

雛祭はどうやってできた風習なのですか?

もともと日本にあった習俗に、中国から来た考えが混じって出来たものです。
そもそも中国では月と日の数とが一致する日を重陽(ちょうよう)と呼び、縁起のよい日と考えました。
わが国でも一月一日は元旦。
そして三月三日は桃の節供(せっく)です。
これが五節供(ごせっく)というお祝いの一つ、雛祭です。
わが国の場合、最も古い形は山陰地方に伝わる「流し雛」だと言われます。
ここでは紙のお雛様を川に流しますが、大祓(おおはらえ)の「形代流(かたしろなが)し」と似た点が認められます。
雛人形に託して子供への災いを川へ流し去り、幸せや健康を祈ったものです。
江戸時代に入ると、壇を設けて雛人形を屋内に据える傾向が現れ、以来、家に留まって子どもの成長を見守ることになったものです。

正月とは何ですか?何のために行うのですか?

暮れにはどの家庭でも大掃除をし、神棚のある家では注連縄(しめなわ)を取り換え、玄関に注連飾(しめかざ)りを付けます。
新年を迎えるための準備です。
こうした仕度が何のために行われるのかが忘れられつつあります。
ついこの間までは誰もが知っていました。
正月が三日間もお休みなのは、歳神(としがみ)をお迎えするためでした。
年の初めに神様が家々を訪れ、一年の実りと幸せとをもたらしなさる日でした。
そこで神迎えのため家の中をきれいにします。
注連飾(しめかざ)りは家内が清浄になった証拠です。
古くはこの期間に先祖も来訪しました。
明治以降太陽暦が採用され、太陰暦の正月がずれました。
これに追儺(ついな)(節分)という中国伝来の行事も加わり、一年の始まりと初春の区切りとが重なることになります。
ちなみに「鬼」は中国では「魂」に通じます。
正月に先祖のみたまを迎えることと、節分の行事とには重なりがあるわけでした。

若水汲み(わかみずくみ)とは何のことですか?

今日なお正月に若水汲みを行う地域が各地にあります。
「神や祖先のいらっしゃる所からもたらされたものが水である」と昔の人は考えました。
その「水をお供えすれば神や先祖が喜びなさる」と考え、日ごとに差し上げました。
これを一年の初めに捧げるので若水と呼びます。
神や祖先に差し上げた後に、家族も頂くことになります。
供え物のおさがりの煮炊きに用います。

雑煮の由来は何ですか?

神様にお供えしたお下がりを煮炊きしたものが雑煮です。
雑煮に餅や野菜が入っているのは、そのような事情によります。
神や祖先とお供えを一緒に頂くことは、その力を頂戴することです。
そのお力を恩頼(みたまのふゆ)(神さまのお力の強まり)と呼びます。

お年玉の意味を教えてください。

正月には子供たちがお年玉を頂きます。
今日ではお金ですが、本来は「歳魂(としたま)」つまり「年初の霊力」のことでした。
ですから、一家の主が家人や使用人たちに与えるところに意味がありました。
科学万能の今日では信じられぬという方もあるかも知れません。
しかし古人はこのような時期に努めて霊力を得ようとしたのでした。
お祭に神輿(みこし)を担ぎ山車を引くのは、御祭神のお力の高まりを期待し、その恩頼(みたまのふゆ)に預かろうとするためでした。
お盆に祖先を祭るのは地獄から帰った亡者を労うのではなく、子孫を祝福するために訪れた祖先の霊力を讃え、これに与かろうとしたためなのです。
同様にお年玉には年の初めに霊力を分けていただく、という意味があったわけです。

おみくじはどう受け止めればよいのかわかりません。

古くは神様にお尋ねしてから物事を行いました。
つまり「くじ」は生活の一部だったのです。
その名残は今日の「くじ引き」にも微かに残っています。
当り・外れの感覚には僅かですが期待と不安とが入り混っています。
「おみくじ」とは「くじ」を丁寧に言ったことばで、始めから占いの一種でした。
その「おみくじ」に書かれた全てを読む必要はありません。
最も気に掛かる事柄だけを見ればよいのです。
しかも結果がわかれば用済みです。
そこで境内の樹木などに結び付ける人が多いのでしょう。
確かに凶については持ち帰りたくないところですが、大吉などをも結い付けたくなるのはなぜでしょう。それは「結ぶ」ことに意味があるためでした。

寒(かん)の水を汲むのはなぜですか?

国内の各地には、一年の最初の日に「若水(わかみず)」を汲む習慣があります。
万葉集には「変若水」と書いて「おちみず」と読ませる例があります。
「おち」とは若返りを言うことばです。
中臣寿詞(なかとみよごと)という祝詞(のりと)には、水は神々の世界から齎(もたら)されるものだと伝えています。
心身の活力を漲らせてくれる大切な水、これを神様や御先祖様にお供えするのも我が国では古来のならわしでした。
旧正月のころに汲む「寒の水」を体によいと言い伝えるのには、そうした背景があります。

お稲荷(いなり)さんは狐なのでしょうか?

京都の伏見稲荷大社には、白髪の老人が稲束(いなたば)を担う画像が掛軸で伝わっています。
そこで「稲荷」という文字を「いなに」と読んで、稲の神様だとする考えがあります。
また同社に纏わる言い伝えが『山城国風土記(やましろのくにのふどき)』の逸文(いつぶん)に見えます。
稲を搗(つ)いて作った鏡餅を弓の的にしたため、その家が没落したという話です。
恐らくは「稲霊(いなだま)」(穀霊(こくれい))を説明していたのに、いつの間にか解らなくなったのでしょう。
いずれにしても稲という穀物が大切であった証であることに変りはありません。
さて二月には初午(はつうま)があります。
最初の午(うま)の日に稲荷の神を祭る呼び名として生活に定着しています。
その眷属(けんぞく)(神様の使い走り)が狐でした。
いつのころからでしょうか主役が入れ替ってしまいました。

端午の節句について教えてください。

五月五日の"子供の日"には、男の子の健やかな成長を祈り、お祝いします。
端午の"端"は初め、"午"は十二支の午のことであり、また午が五と同音であるため、古くは毎月初めの午の日にあるいは五日のことを"端午"といいました。
"令義解"(りょうぎのげ)には五月五日を節目とするとあり、"続日本後記"では端午節は走馬や騎射を行なうとされ、さらに五月は田植えを前に身を清める月とされ、端午の日がその忌み籠りの日であったこと、また、菖蒲が邪気をはらうとされ、軒先に挿したり、はちまきのように頭に巻いたりした風習が結びつき、"五月五日"が"端午(菖蒲)の節供"となりました。

端午の節句の由来について、教えてください。

端午は月の始めの午の日のことです。
中国の漢代以降から五月五日に定まったといいます。
この日は野外で薬草を摘んだり、艾(よもぎ)で作った人形を門口にかけ、菖蒲をひたした酒を飲んだりして邪気を払いました。
日本には奈良時代に伝えられ、艾や菖蒲を屋根にあげて火災を避けたり、身につけたりして災厄を防ぎました。
武家時代になると、流鏑馬(やぶさめ)やたこあげなどの勇ましい行事が行われるようになり、菖蒲が尚武に通ずるところから、男子の節句とされました。

端午の節句に武者人形などを飾るようになったのはいつ頃からですか?

武者人形や兜、太刀や弓矢といった武具を飾る形式が広まったのは江戸時代のことで、庶民の間にも広がりました。
今日では、子供たちの成長を祝う"子供の日"として、国民の祝日にもなっています。
なお、節句飾りを行う年齢ですが、一般的には中学生くらいまでで、鯉のぼりについては六歳まで立てるという地方もあります。

七・五・三について教えてください。

三歳の男女児、五歳の男児、七歳の女児達への日頃のご加護に御礼を申し上げ、今後も立派に成長するよう神社にお参りします。
古来、三歳ではそれまで剃っていた頭髪をたくわえる"髪置き"、五歳ではじめて袴をはく"袴着"、七歳で帯を使い始める"帯解"といって、それぞれの儀式がありました。
十一月十五日を祝い日としたのは、五代将軍綱吉の子、徳松の祝儀に倣ったとか、この月に行われている"霜月祭"(収穫感謝祭)に関わるものという諸説があります。
ともあれ、子供達の成長を願う意義のある行事なのです。

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